今日の14時の福島沖地震・・・
震度5と大きかったので、お友達が
心配になりすぐメールを…。
そしたら、「大丈夫だよ」と電話があり
ホッ!!
逆に、私の心配して下さって申し訳けなくて
言葉なしでした。
いつも、励ましてくださる友に心から
感謝です。
余震に気を付けて下さいね。
お友達と話してて愛の話になって、
「その辺からふっと出てきそうで…姿が
ちらっと見えることもあるし、声も聞こえる
ことがある・・・そして、愛のにおいが・・・」
これは、れっきとした幻覚・幻聴・幻臭
なんだろうなぁ・・・。
愛は、体臭は全くなかったけど足の裏に
軽いニオイがあり、それが大好きだった・・・。
そのニオイにふっと包まれること度々・・・。
そんな事を思い、話をしてたら、以下の
嬉野雅道さんの日記を送って下さった。
******~ここから~***********
2010年6月30日 (水曜どうでしょう日記 嬉野雅道)
どうしたことだろう。
昔から「痕跡」という言葉を耳にすると、心が揺れてね。
居たはずの人が居なくなって、
居なくなった人は「何かを」残して行くんだ。
もう20年ほど前のことだろうか。
太古の水田跡が発掘されてね。
何千年前の水田の跡だったろう。
その田の跡に、人の足あとが残っていたといって騒ぎになったことがあったよ。
ぬかるんだ土に足あとだけを残して、
その人は何処へ行ってしまったのだろう。
遺跡から出てくるのはいつも、人が生活していた痕跡だけだ。
千年以上という気の遠くなる時間の向こう側から、
突然現代に出現してくる古代人の生活。
飲みかけの珈琲を、カップに残したまま。
吸いさした煙草を、灰皿に置いたまま。
ほんのさっきまでそこら中に当たり前のようにいた人間たちが、
振り返ればもう誰も居ない。
ちょっと煙草を買ってくるよと出て行ったまま。
ベランダの洗濯物を取り込んでくるわねと言い残したまま。
「忘れ物はないの?」との呼びかけに、
「大丈夫!」と弾んだ声を残して塾へ出かけたまま。
もう、誰一人帰ってこない。
あれから、いったい何千年の時が過ぎたのだろう。
それでも痕跡の中には、
ついさっきまで生活していたと思える彼らの気配が、
いつまでも消えない残り香のように留まっている。
まるでそこだけ時が止まってしまったように。
8年前のことだよ。
親父の葬儀から戻って、
実家の二階にあった親父の書斎に上がったよ。
ベトナムにロケに行く4ヵ月ばかり前の春先のことだったよ。
書斎には親父が入院してから誰も入った形跡がなく、
部屋はそのままになっていたよ。
畳敷きの部屋に座卓を置いて、
親父は入院するまでこの部屋で日を過ごしていたそうだよ。
肝臓を患っていた親父は疲労感がとれなくてね、
仕事の合間をみては横になっていたらしいよ。
あの日もざぶとんを枕に横になっていたんだね、
見下ろすぼくの視線の先には座イスがあり、ざぶとんがあり、
しわの寄った毛布があったよ。
それはたった今まで人が寝ていたと思わせる物の配置でね。
数週間、残されたままになっていた、その配置に、
ぼくは、ありありと横たわる親父を見おろす思いがしたよ。
あの感覚が今でも不思議でならない。
もう誰も居ないのに、親父が使い残した物の配置に、
どうしてぼくは父親の気配を感じてしまったのか。
でもあれが、親父の残して行った痕跡だった。
たった今までそこに居たと思わせる、
ただひとつの、
他の誰にも再現できない、
親父の痕跡だったよ。
人が死んで…、またどこかで人が生まれて…。
だから、世間にはいつも、たくさんの人がいる。
それでも、縄文時代の人は、
もうずいぶん前にひとりもいないのだよ。
遺跡に人の痕跡を見て、
どんな人だったのだろう、どんな暮らしだったのだろうと、
懐かしい思いにかられるのは、
あの頃の人が、もういないのだということを、
その時、もう一度思い出すからなのだと、ぼくは思う。
そして、
もういないのだと思い出すことは、
かつていたのだと、
思い出すことに等しい。
人は生き、人は死に、
やがて分子に戻るだろう。
生きるものにとって、死は常に鼻先にある。
そう気づいた時から、
昔、おなじように生きていた者たちの生活の証を見る度に、
懐かしいと思う気持ちが湧く。
そんなふうに、ぼくは、思うのです。
そうそう。
今朝、テレビで、選手のどなたかが言われておりました、
「ぼくらはサッカーがへたなので、へたなりのサッカーをやります」と。
思わず私は拍手したい気持ちになりました。
すばらしいじゃないか!
それをやっていたなら強くなるはずだと……
自分が何者かを知る。
それが、生きる者の、最初の第一歩だと…….
****~ここまで~**************
【今日の愛ちゃん】
木の枝が大好きで見つけるとその場で
ガシガシ・・・
そして、疲れるまで離さずに歩いていた・・・。
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