友人が、送ってくださった
『泣く』ということ・・・。
『この世に第一歩を進めた時、泣き、
そして、涙を流しながら、もう一度、
住み慣れた海に戻っていく。』
毎日、泣いて暮らしている私ですが、
あぁ!そうなんだ・・・と、思ったので
そのまま掲載します。
↓ここから~
水曜どうでしょう日記、嬉野雅道さんより 2009年6月9日(火)
昔、赤瀬川源平さんが、なにかに書いてたよ。
あれも「泣く」ということに関するお話だったなぁ。
赤瀬川さんは、ある夏の夕方、自転車に乗って多摩川の
土手あたりを走ってるんだね。
そしたら小さな羽虫が赤瀬川さんの目に入っちゃうんだ。
なんだか、意思を持って赤瀬川さんの目に
飛び込んでくるかのように羽虫が目に入るんだ。
あれは嫌なものでね。
羽虫が入った目からは、涙が出ちゃう。
涙をこぼしながら、赤瀬川さんは、なにか一生懸命考えるんだ。
そのうち、目からこぼれた涙が、自分の口に入るんだね。
すると、しょっぱい。
「そういえば」と、
その時、赤瀬川さんは、思い出すんだ。
人間の成分のほとんどは海水だって聞いたことがある、って。
生物は初め、みんな海で生まれた。
でも、いくつかの生き物が、その海を捨てて、
陸に上がって来た。
それが、自分たち人類の、ずっとずっと前の祖先で。
陸に上がって来たぼくらの祖先は、その時、古代の海水を
自分の身体に取り込んで来たんだって、そんなことをどっかで
聞いたのを思い出すんだね。
その時、赤瀬川さんは、もうひとつのことを思い出すんだ。
「そういえば」
「泣く」という漢字は、
(さんずい)偏に(立つ)と書く、って。
つまり、水際に立つ。
最初の生き物が、海から陸に上がった時。
その時も、その生き物は波打ち際に立ったろうか。
そうやって赤瀬川さんの頭の中で、古代の海中から陸に
上がって来た、ひとつの生命体の姿が「泣く」という漢字になって
頭の中でシンクロするんだね。
そして赤瀬川さんは、思うんだ。
生き物が、住み慣れた海を捨てて、陸に上がってきた瞬間。
つまり、それは、自分たち人類の祖先が、陸地に最初の
一歩を記した輝かしい記念すべき決定的な瞬間のはずなのに、
それが、「泣く」というイメージと重なってしまうのか、って。
そして、赤瀬川さんは、続けてもうひとつ、
「涙」という漢字を思い出すんだ。
「涙」という漢字は、(さんずい)偏に(戻る)と書く。
水に戻る。→海に戻る。
赤瀬川さんは思うんだ。
つまり、ぼくらの祖先は、
住み慣れた海を捨て、陸に上がった時、「泣き」。
泣いて「涙」を流しながら、海に戻っているのだと。
そんなことを考えて、愕然とするんだね。
それを読んだのはもう30年近く前だったけれど、
ぼくは、赤瀬川源平さんて人は、すごいなぁと思ってしまってね。
その赤瀬川さんが思いついてしまったイメージが、その時のぼくには、
まるでぼくらの生きる定めででもあるかのように、それを赤瀬川さんが
発見したかのように思えてね、しばらくどきどきして、
いまだにこうして忘れてないものね。
だから、生まれてくる赤ん坊は、
みんな自分たち生物の定めを、この世に生み出される時、
なぞって出て来るのかもしれないね。
だからぼくらは、この世に第一歩を進めた時、泣き、
そして、涙を流しながら、もう一度、住み慣れた海に戻っていく。
生き物にとって、生きる事はずっと苦しいことだったのではないのかな。
だから泣くことから始めるしかなかった。
でも、泣けば。
涙がこぼれて。
ほんの束の間だけれど、
ぼくらは懐かしい故郷である古代の海に戻ることができる。
その浄化作用で自分を慰めながら、ぼくらは、どこまでも
生きていかなければならない。
そうなんだろうなぁと、ぼんやり思います。
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